【エッセイ】

「アジュムニ」と呼ばれる女性

 


朴 正一   


 日本の韓国に対するイメージは60年代頃は非常に暗かったが、漢江の奇跡と呼ばれる重工業を中心とした基幹産業の発展をもとにその後大きく変化して行った。 その当時は、韓国が誇れる世界一と言うものは非常に少なかった。しかし今は、造船、電子、通信機器、などなど大人の両手で数えても余る程になっている。 韓国と日本のメデイアが行なった意識調査では88年のオリンピックを前後として大きく変化している。 それは以前は、国そのもの対するイメージは余り良くなかったのだが、その国の人々に対するそれは比較的良かった。 その後、ブローダレス時代、グローバル時代の流れの中で人々が実際に付き合い出すと、今度は、国のイメージは良くなった反面、 人に対する評価や好感度は逆に転じてしまっているのは、単なる「情報化時代」の作り出す、受け取るだけという体質や構造が持つ情報の中から抜け出して、 実際に人々が自分の目で見て肌で感じ始めた結果であると考える。その後、所謂「韓流ブーム」が起こり、 若者を中心としてリアルタイムのモダンカルチャーの流れになって行ったと考える。両文化の潮の目にいると間違いなく何かが変りつつあるのが感じられる。
ところで、グローバリゼーシヨンとナショナルアイデンテイテイーの狭間で生きている韓国の女性にとって大切な言語知識の中に次の二つがある。
 韓国の生活の中で「ケー」(稧)と「アジュムニ」または慶尚道(キョンサンドウ)地方の方言では「アジュマー」と言う呼称がある。 前者は日本的には「頼母子講」だが、庶民相互金融的な存在ではなく、韓国の女性同士の相互扶助と親睦の為の場を意味している。 韓国の女性同士の交流の場は、日本で友達同士で喫茶店やレストランなどで食事や話をする程度とは少し異なっていて、 韓国では女性同士のコミュニテイーがユニークで、男社会の付き合いは何かにつけ兎角互いの優劣を競い合うような内容に成りがちだが、 それとは反対に、融和と平等のもと情報交換と相互交流を図っていて、男性中心のグループや社会とは違った特徴を持っている。謂わば、 女性だけの楽しみの場のようなそんな「ケー」が本当に多いと思う。そして女性同士が付き合い、一日の、人生の多くの時間を友達として過ごす姿は、 日本では余り見られない。
 もうひとつの「アジュムニ」は韓国語で「おばさん」の意なのだが、韓国にいらしている日本女性の中で、例えば、 国際結婚をした若い日本の奥さんの中には、そういう呼称で呼ばないで欲しいと少なからぬカルチャーショックを受ける方も多い。 言葉には罪はないのかなんていうことより、意味論的には多義語の解釈の問題なのだ。
日本からの大学院生や韓国人と結婚した若い女性が、特に、同年輩の韓国の女性から言われると本当に嫌がる言葉である。 「比較的年を取った女性」「子供を持った女性」のような意味がある。韓国人の女性同士では抵抗感のない呼び方ではあるが 「絶対言われたくない」と思っているのは、日本で言う「おばさん」とか俗語の「オバタリアン」を少し弱めたような意味合いで取られてしまうからである。 しかし「アジュムニ」もある程度の年になったら呼ばれなくなり「ハルムニ」(おばあさん)と呼ばれだす。 では「アジュムニ」を自然に受け取れるようになるだろうが、否、女性の心はさにあらず。と言うのも韓国では「アガシ」と言う呼称が存在し、 勿論「お嬢さん」ぐらいの意味合いだが、中年層の職場の女性にそう呼ぶと、比較的融和的なスマイルが返ってくる。 女心と秋の空、女性の心内は雲の中なのか否か。
アメリカの「Ms」は初対面の方でも使えそうだが、韓国ではそのような呼称は存在しない。 「チョー」(あのー)程度の呼びかけでコミュニケーションはとれそうだが、当事者間の規定がなされず、曖昧模糊さは残ってしまう。 「タンシン」(あなた)では夫婦間、恋人同士、喧嘩相手のどれにも該当しない場合は使えない。 悩んだあげく例の「ケー」で使われているのを見ると「ヨンジュン オンマー」(ヨンジュンのお母さん)(ヨンジュンは子の名前)と言う使われ方もあるが、 個人情報のない呼び手には無用の長物に過ぎない。韓国の女性からすれば「アジュムニ」以外に呼びようがない。 スペンサーの言うように「言葉が社会を変えていく」のがいいのか、はたまた「郷に入らば郷に従え」がいいのか葛藤の日々は続きそうだ。

2011年5月

 

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