【エッセイ】

「保育園」という場とジェンダー

 


渡部孝子   


 もうすぐ小学校1年生になる息子は、生後3ヶ月から保育園に通っている。これまでを振り返ると、息子が通っている「保育園」 という場は日本語とジェンダーという視点から考えさせられることが多かった。
 いつの頃からだろうか。園庭で男の子も女の子も関係なく泥だらけで遊んでいた子供たちが、いつの間にか男の子は男同士で、 女の子は女の子同士で遊ぶようになった。遊び方も違う。男の子はみんなで一緒にサッカー(もどき?)をしている。女の子は小さなグループを作って、 ままごとや縄跳びをしている。言葉遣いも違う。男の子は、「やめろよー」「~なんなんだよー」と威圧的で乱暴な言葉を使いたがる。 女の子は、「やめてよぉ~」「~なんだからぁ~」と語尾を上げて、延ばして、甘えた感じを誇張する。 年中組になると男の子は「かわいい」より「かっこいい」という評価を求める。「かわいい」という言葉は、女の子に対する評価だという認識を持っているらしい。 このように、子供たちは就学前の段階で、既にジェンダーというものを学んでいるのである。
 共感する方は多いと思うが、子供に下手なことは言えない。保育園では園児による個人情報(言い換えれば、家庭内機密) 漏えいに歯止めがかけられないのである。それはさておき、保育園で、子供は子供同士の関わり合いを通して、新しい語彙や表現を学び合い、 日本語力を養っているのは確かである。何よりも幼いながら、これは男言葉、あれは女言葉と意識し、ちゃんと使い分けているのには驚かされる。 どうやら我々にはチョムスキーの言語獲得装置(Language Acquisition Device)ならぬジェンダー表現獲得装置が備わっているらしい。 もちろんジェンダー表現の獲得は、日本語、日本文化、そして他者とのインタラクションを通して子供自身が学んだものであることに違いはないが。
 子供たちは、日本語に含まれるジェンダー観に疑問を持たず習得し、結果としてそれを彼らの価値観の中に埋め込んでいく。 それは人間の自然な言語・文化習得過程であろう。とはいえ、不条理なジェンダー観は我々大人が修正していかなければならない。 まずは家庭で「女だから/男だから~ねばならない」という表現は使わずにおこうと思う。

2010年2月

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