【エッセイ】

Dialog on Gender, Language and Culture -1-

 


Katsue A Reynolds 


  言語学と文学についての論文(エッセイ)を書こうとしているのですが、そこで「言語学とは何か」 について言語学外の論者のあいだにある種の誤解があることに気付きました。国広氏へのメッセージでそのことに触れたところ、 氏からていねいなお返事をいただき、意味論の研究のなかで「女ことば」問題もしっかり論じてこられたことを知り恐縮しました。 氏の言語研究に対する熱意にすっかり励まされた形で、ちょうど佐々木氏から「皆様、このメールアドレス(mail@gender.jp のことでしょうか)、 意見交換の場にもしませんか」というproposal があったところでもあり、思いつきで国広氏にお願いしました。わたしたちのやり取りを 「他のメンバーの方にもアクセスできるようにdailogとしてエッセイ・サイトに発表させてください」と。すぐに Yes の お返事をいただきました。分かりやすい文で、あまり長くならないで、と勝手なこともお願いしました。先行き、 言語学外の研究者・学生、一般の方にも参加していただいて、 多様な視点が反映されることもあるかと期待して…。
  A thought about the future activities of the SGSJ の注2で詩人のしまようこさんから教えていただいた「聞きあい」と 「言い合い」の違いを紹介しましたが、皆さん、お読みいただけました? 意見交換が長続きするようflare up は避けたましょう。言語も、 文化もジェンダーも、わたしたち一人ひとりの生きかたに深く関わるイッシューなだけに、熱がはいりがちですが。
  それから、もう一つ。米谷ふみ子さん――カリフォルニアのパシフィックパリセード在住で活躍中の芥川賞作家――の持論は 「敬語あるかぎり日本に平等はない」です。思うことをけっして曖昧にしない彼女の発言にいつも胸がすく思いです。Transparentなんですね。 もちろん「敬語とはなにか」は大いに問題です。わたし個人は、心配りの効いた話し方にほろりとなってしまうほうですが、 たて型のややこしい敬語を使うのも苦労です。かといってあのドライなアカデミック・スタイルもしっくりきません。 このあたりも大いに議論のあるところですが、とりあえず、以下では国広先生には失礼ですが、敬語を最小限にとどめることにしました。 ご容赦ください。
  また、このテーマと関係ないエッセイを個別に投稿していただくことについては、今まで通りですので、 エッセイ欄が変わるわけではありません。

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From Reynolds to Kunihiro

2011年12月5日


Dear Prof. Kunihiro:

  Thank you very much for your letter explaining your theory about language and society. It is like a breath of fresh air blowing into my mind. 「日米両国の社会・文化の構造の違い」1 を重視されて、日本語の「女言葉・男言葉」を論じる必要があるというご趣旨、 まったく同感です。世界化の今、日本の文化もアメリカの文化も、それぞれに多様化し入り組んでいて不透明な部分が大きくなっているだけに、 ややこしい問題ですね。
  連れ合いが膵炎治療のために入院した病院は、Queen’s Hospitalというハワイ一番のすばらしい施設ですが、 そこで働く人たちのエスニックの背景が実にさまざまでした。したがって、英語も標準ではありません。発音や文法だけでなく、 語用論的に面白いことがいっぱいあるだろうと思います。患者が典型的な「ハオレ」2 であるのに対して 看護婦さんを含む介護陣がほとんどフィリピン人かフィリピン系のローカルですから、「ものの言い方 」がきわめて対照的でした。 わたしたちが70年代から80年代扱ってきた「男ことば vs. 女ことば」の違いに似ているなー、と思いながら聞いていました。 医師たちは、ほとんどが男性ですが、エスニックな背景はマチマチです。文化の香りがフンプンでした。
  こうした「もの言いの違い」を権力(パワー)概念を軸に論じるのが主流スタイルだった時代を思い出しました。もちろん、 パワーだけで言葉の性差を説明しようとするのは単純過ぎて困りますが、わたしたちのことば使いにパワーが作用していることは否定できない、 と今も思っています。「パワー」とは何か?80年代、そんなテーマの国際学会がありましたが、むずかしいコンセプトだと思います。 でも、実感できる場合がけっこうあるんですよね。
  まだ学生だった頃メキシコに遊びに行った帰り、I-20(留学証明)が期限切れになっていることに気が付かず国境の移民局で 拘束されかかったことがありました。高所からわたしを見下ろす大きな図体の係官にぺこぺこ謝りました。すぐに renew の手続きをしますから、 とかなんとか。そしたら、ギョロリと眼を剥いて You talk, me talk?! と一喝されました。オロオロと I talk, yes, yes. I will talk. とか答えてしまいました。これが大きな間違いでした。<モノ言う権利があるのはどっちだ?オレか?オマエか?> という意味だったらしいんですね。この場では明らかに弱者である「このわたしめ」は何も言わずに黙ってうな垂れているべきでした。 係官の太い人差し指が廊下の奥の jail に向かってピーン。不法入国のメキシコ人の男性が首根っこを抑えつけられて しょっぴかれて行くのが見えました。 「えーっ?! わたしも?! 」一緒にいたアメリカ人学生の口利きで助かりましたけど。パワー関係を絵に描いたような場面でした。
  しかし、そのパワー関係もそれぞれの文化によって違うでしょうから、ことば使いというのはほんとうにむずかしいものですね。 ハワイのような文化的人種的に多様なコミュニティに住んでいると、毎日が社会言語学であり、フィールドワークです。30年たった今も…。
  言語観察によって文化構造を理解する、文化構造に照合して「女ことば」「男ことば」の価値を判断する…。下手をすると、 悪循環になりそうですが、 さしあたり、謙虚にいろいろな言語場面を観察してデータを豊かにして行くことが求められているのかな、 とか思います。「社会・文化の構造」と言語使用における性差の関係がより可視的になり、 さまざまな人間関係に内在する conflict を理解する役に立つ研究が育つよう、これからもご指導よろしくお願い致します。

Katsue A Reynolds

1.国広先生からいただいたメッセージのキーワードでした。
2.ハワイ語.「外部の者の」意味ですが、一般には、<白人>を指します。内部の者が白人だけを「部外者(ハオレ)」 と呼ぶことが多いので語用論的には「ハオレ=白人」という意味を帯び、さらには、白人に対する差別語にもなってしまうことの多いことばです。

2011年12月

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